· ルター,宗教改革500年,聖書

マルティン・ルターの言葉(9/3)

「主よ、助けてください。私たちは死にそうです。」 (マタイ8:25) 

 *新共同訳では「おぼれそうです」

 この極限の苦しみの中にあって、まだ、信仰の花火がかすかに輝いている。彼は、「私たちは死にそうです」と言っているのだから、自分自身ではそれに気づいていないのである。なぜなら、もし、気づいていたら、こうは言わなかったであろうから。だが彼は、死にそうであるということにだけ気づいて、自分でまだ生きて燃えていることを知らなかった。もし、まだ彼が生きて燃えていなかったなら、もう感じ取ることもできなかったはずであろう。

 しかし、見よ。キリストはこの火の粉を捨て去られないで、それを大きくしてくださり、風も海も静めてしまうような情熱の炎をそこから造り出される。私たちが不安でおびえているときに、私たち皆に対して、彼はこのようにしてくださる。私たちはためいきをつき、呻き、少なくともほんのちょっと心を動かして、「主イエス・キリストよ。お助けください。」、さもなければ、「私の救いのためにそれが成りますように」と言いさえすればよいのだが。すると直ちに人は安らぎを感じるであろう。

 なぜなら、このようなためいきによって、キリストは動かされ、風や海を脅してくださるからである。そして、このようにして、大きな静寂が訪れる。その結果、喜びと平和と、それから讃美と感謝が続くのである。(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

大きいか小さいか、ではなく、あるかないか。「助けて」と求める心があるならば、そのかすかな声が神との絆に。(N)

All Posts
×

Almost done…

We just sent you an email. Please click the link in the email to confirm your subscription!

OKSubscriptions powered by Strikingly