· ルター,宗教改革500年,聖書

マルティン・ルターによる一日一章(8/6)

「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。」 (マタイ26:10)

 私たちはこのように教える。すなわち、神と和解させ、義とし、罪を消し去ることは、神の子キリストのみの成される、高くすばらしく偉大な行いであり、また、唯一の正しい神と神の恵みによる、まことに純粋で、あるがままの特別の行いであって、これに対して私たちの行いは無であり、何も達成できない。

 しかし、このようなわけで、よい行いは無であるということを誰が教え、また聞いたであろうか。私は、私の説教の一つを、講義の一つを、著作の一つを、私の主の祈りの講解の一つを、いや私が常に行ってきた、また今もしているどんな小さな行いをも、この全世界の財貨と交換に与えたくはない。いや、私はそれを私の肉体における命より貴重に思っている。だが、その命は各々にとって全世界より大切なものであるはずである。このように言うのも、もし、それがよい行いであるなら、神が私を通して、私においてそれを行われたからである。それが、神がなされた神の行いであるなら、神と神の行いに対して、全世界はいったい何であろう。

 私は、このような行いによって義とされず、行いなしにキリストの血と恵みによって義とされなければならない。でもなお、神に感謝と栄光を帰し、隣人に益と救いをもたらすべきである。そのどちらも、この世の財貨では買えぬほど貴重であり、比べ物にもならぬものである。

(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

神が私を通して行う。人が互いに愛を示すという神の心が全世界に届けられるように、どうぞ私を用いてください。(N)

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