· ルター,宗教改革500年,聖書

マルティン・ルターによる一日一章(8/20)

「恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。」 (ローマ6:1-2)

 「もし、私たちの罪によって、神の恵みといつくしみが讃美されるなら、そのために私たちはますます自由に罪を犯そう」と、人が書こうとするなら、それは、神を畏れない誤った考えである。神はそのようにはなさらない。また、神はあなたのために、あなたが自由に罪を犯すことができるきまりを定めてはおられない。神は罪のゆえに誰かに恵みを施そうとも言ってはおられない。罪のゆえに恵みを施すということと、罪の中にある人を助けに来るというのとは別のことである。神は罪を敵とし、罪を犯さないように命じられ、罪を禁じられる。

 しかし、罪が犯され、ひどく罪に汚れているとき、そこでも神は、死が支配すべきではあるとはお思いにならない。エゼキエル書18章23節にある通りである。「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち返ることによって、生きることを喜ばないだろうか」。(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

神の愛情を確かめるように、どこまでなら赦されるかと試すように罪を犯さなくともよい。いつだって赦される。それは赦された私がそれを喜んで生きることを神も喜んでくださるから。(N)

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