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· 宗教改革500年,ルター,聖書

マルティン・ルターによる一日一章より(7/30)

7月30日

「神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」 (ヨハネ8:47) 

 キリストは、このみことばをとても無造作に語られたので、それほど重大な意味がここに含まれていることに誰も気づかない。しかし、これにしっかり目を止め、何が神からきた者であり、何が神からきた者でないかを真剣に考える人は、キリストが、重大なすばらしいことについて語られたことを告白せざるを得ないであろう。なぜなら、「彼は神からきた者ではない」、と言われるときほど人が厳しく裁かれ、激しく攻撃されることは決してないはずだからである。誰かが私を悪い奴だ、悪党だと言っても、また私の首を取られたとしても、主がユダヤ人に対して、「あなたがたは神からきた者ではない」と短い言葉で言われた、このぞっとするような苦悩に比べれば何でもないことである。それゆえに、私たちは神の言葉を喜んで聞き、熱心に守るべきであるということに、すべてはかかっているのである。

 愛する子たちよ、どのような判断をここから得られるか考えなさい。あなたがたは神からきた者であって、悪魔と地獄を克服しており、罪も神の裁きもあなたを損なうはずはないことを知りなさい。これと並んで、あなたがたにどんなにおぞましいことが降りかかっても、あなたがたは、それをみな逃れられるはずである。これに反して、この世は、どんなわずかな不安にも耐えられず、気おくれする。キリスト者にとっては、悪魔やこの世は、強力な敵であるから、彼らは忍耐強くすべきであり、そのため、からだと命と財貨と名誉を危険にさらす勇気がなければらない。だが、どうやって彼らはこのすべてに耐え、辛抱できるのであろうか。みことばにしっかりとどまって、こう言うほかないのである。「このままにしておくがよい。私はこの世からではなく、神からきた者である。もし、そうでなければ、この世は異なる仕方で私とかかわったであろう。しかし、私にとっては、この世が私を憎み、あらゆる苦悩を与える方が、私が神からのものでないので、この世が私を好むよりずっとよいのである」と。

(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)