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· 宗教改革500年,ルター

マルティン・ルターによる1日1章より(6/18)

 この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいております。 (2コリント5:4)

 

 あなたが、自分は罪も死もこの世も悪魔も、またそれらとの闘争も感じない、だから無理に聖礼典(聖餐)にあずかる必要を感じない、と言ったとする。答。この地上のすべての聖徒や人間の中であなただけがそのような感覚がないなどと、あなたが本当にそう思っているとは、とても私には信じられない。そして、もしあなたが本気でそう言っているとわかったら、私は、あなたが行くどの路地でも鐘を鳴らして、「すべての聖人にまさる新しい聖人がこちらへやってくるぞ。彼は罪を感じないし、罪をもたないのだ」とあなたの歩く前にふれ回るようにと本当に頼みたいほどである。

 しかし、私は冗談でなくあなたに言いたい。もし、あなたがもはや罪を感じないなら、あなたは罪に落ちて全く死んでいることは確かであり、それがあまりにも多くのまた大きな罪であるために、あなたは、聖礼典に与る必要も希望も感じないのであり、神のことばを軽んじて、キリストの受難を忘れ、感謝のない、霊的に全くひどい状態にはまり込んでいるのである。

(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

洗礼も聖餐も、神の恵みも権利ではない。いただけるはずのない罪人の私にそれでもと注がれる神の愛なのだ。感謝。(N)