· ルター,宗教改革500年

マルティン・ルターによる1日1章より(4/9)

「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」(コロサイの信徒への手紙3:13)

 人はつらい目にあわされても喜んで赦し、忘れなければならない・・・神が、以前も今も私たちに対してなさっているとおりに。神が私たちの罪を赦されるときには、記録からすっかり削除してしまわれ、もはやそれを覚えておられないのである。

 しかし、それは、赦しているような素振りをできるとか、もうそれについて考えてはいけないのだと思うことではなく、隣人に対して、彼があなたを侮辱する前とまったく同様の親密な心を持つことである。心にしこりがあって、あなたが彼に対して以前のように親密で優しくなれないなら、赦したとも心から忘れたともいえない。捧げ物をもって祭壇の前に歩み出て神に仕えようとしても、心は怒りと妬みと憎しみでいっぱいであるというのなら、あなたはずるがしこい悪者である。ところが、そのようなことを考えるのはほんのわずかな人であり、みな、きれいな仮面のままで去って行き、自分の心がどんなにこの祈りに反しているかに気づかない。彼らは結局、隣人に対する怒りや恨みを決して赦さないのである。(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

私の至らなさ、私の背きを100%忘れてくださることで、新しい歩みを踏み出させてくれる。

赦しとは私の再起につながる恵みなのだ。懲らしめや報復にはない希望がここにある。(N)

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