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· ルター,宗教改革500年

マルティン・ルターによる一日一章(3/19)

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリントの信徒への手紙二5:17)

 実直な人であることとキリスト者であることとの区別は、しっかりつけるべきであると、私はしばしば言ってきた。私たちは実直な人間であることを賞賛する。また、この地上には、太陽や月、穀物や葡萄酒、その他すべての被造物と同様、神の賜物でなくて賞賛すべきものは他に無いはずである。

 しかし、私たちはその両者を互いにごちゃまぜにして醸造してしまわないで、実直な人はこの世の賞賛の的にしておいて、こう言おう。「実直な人はこの世ですぐれた人間ではあるが、それだけではキリスト者であるわけではない。なぜなら、実直な人は、トルコ人の中にも異教徒の中にもいるからである(かつて大いに有名な人々がその中にいたように)。一般には、非常に多くの悪人の中に一人の実直な人がやっとみつかるということしかあり得ないのだが。しかし、彼は、いかに実直であろうともこのような実直のために、アダムの子であり、まだそのままであり続ける。つまり、死のもとにある地上の人間なのである」と。

(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

「神さまの恵みと愛をいただきながら、そのことへの感謝に乏しい、罪深いわたしをおゆるしください」といつも祈る。何もできないと言いながら、言葉ばかりでなく、振る舞いにも神さまへの深い想いがにじみ出ているあの人は、祈りの人。そんな人になりたい。(N)