マルティン・ルターによる一日一章(2/26)

「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」(ヨハネの手紙5:5)

 これは、イエスが神の子であると信じることが、勝利を確信している真の信仰であるというという意味である。

 この信仰は、聖霊によってキリスト者の心の中に造られる超自然的な力である。なぜなら、それは、あちらこちらへふらふらと動き回ったり、それぞれの自分の思いの中に没入してしまわず、キリストの中に神をとらえ、天から贈られたみ子、キリストを通して神はその意思とみこころを啓示し、人を罪と死から新しい永遠の命へと救ってくださると信じる確実な理性だからである。

 またそれは、自分自身の知恵や価値にではなく、神の子キリストに依り頼み、キリストの力と支配によって、世や悪魔と戦う確信と信頼である。それゆえに、この信仰は冷えて腐った空虚で無意味な観念ではなく、生きた活発な力である。それがあるところに、このような実りと勝利と達成が来たるのであり、それが来ないところには、信仰も生まれかわりも無いのである。(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

人が生きるということにおいて、何をもって勝ち・負けと表現することができるのだろう。所有の量か、託された社会的責任の大きさか、所属する学校や企業の有名度合いか。そうではあるまい。慎ましく暮らしていたとしても不意に襲いかかる危機において、助けを求める対象が与えられていること。それが人を危機を乗り越えさせる。つまり、危機に負けない。それが信仰ゆえに勝つということなのではないだろうか。(N)

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