マルティン・ルターによる一日一章より(2/12)

2月12日 

わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。(ローマ8:38-39)

 神が信仰を送られたのは、信仰がささいな事がらと関わるためではなく、全世界が耐えられないような、死や罪やこの世や悪魔と関わらねばならないからである。

 なぜなら、全世界が死に逆らうことはできず、死を避け、その前におびえ、死に克服される。しかし、信仰はしっかりと立ち、全世界をむさぼり食う死に逆らって立ち、勝利を得て、命を餌にするこの飽くなき大食漢を飲み込んでしまう。同様に、全世界が肉を屈服させ静めることができないために、肉が全世界を支配し、肉が望むことがその通り行われるので、全世界がそれで肉的になっている。しかし、信仰は肉に攻撃をしかけ投げ倒し、主導権を握って押さえ、肉をして仕えさせる。同様に、人は、この世が荒れ騒ぎ、迫害し、誹謗し、憎み、妬むことに耐えられず、誰もが屈服して元気を失う。信仰の外でこの世が上に立って勝利するからである。しかし、信仰はそれを嘲笑し、このようなすべてを足で踏み付けて、そこから喜びと楽しみを造り出すのである。

(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

信仰は個人の魂の安寧を超えて、全世界と表現されるすべての存在を神が支え、励まし、生かし、人の自己中心を乗り越えさせるために、小さな私に与えられた。神がその働きをなすのに、小さな私たちがどうしても必要と、信仰をくださった。(N)

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