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· ルター,聖書,宗教改革500年

マルティン・ルターの言葉(11/19)

信仰の薄い者たちよ。なぜこわがるのか。(マタイによる福音書8:26)

 ペトロは、キリストの力によって水の上を歩いて行ったが、強い風を見たとたん、彼の信仰は弱まり、キリストが語られた「来なさい」という言葉を失った。キリストの力によって彼は舟から降り、水の上へ飛び出したが、その力の中にとどまることはできなかった。なぜなら、彼の見た風があまりひどく彼をおびえさせたので、彼は「来なさい」というみことばに耳をかたむけられなくなり、みことばではなく彼の見た風に気を取られたからである。

 このように、目はいつも耳のじゃまをし、目に見えるものはみことばと、目に見えないものを押しのけてしまう。ペトロが「来なさい」というみことばを聞いたまま、どんな水の上を自分が歩いているか見ない間は、彼はうまく進んでいたのである。だが、風を見たとたん、「来なさい」という言葉が聞こえなくなり、沈みはじめたのである。

 キリストが舟に乗り込まれても、海上は長い間静まってはおらず、暴風も激しい嵐も来るものである。こう言うのも、もし、あなたがキリスト者でありたいなら、この激しい雷雨やこのような嵐に順応するようにと勧めたいからである。キリストにあって敬虔に生きようとする者は、迫害に耐えなければならないとパウロが言っていることは誤りではない。そして、みことばが強力であればあるほど、悪魔とその手先は、その上を怒り立ち、暴れまわるのである。(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

眼聴耳視とはいかなくとも、聴く。語られているのだから。(N)