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· 宗教改革500年,ルター,聖書

マルティン・ルターによる一日一章より(7/23)

7月23日

「キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。」 (新約聖書テトスへの手紙2:14)

 あなたは、天地創造以降アダムの罪によって堕落した神の被造物の一人であることを認めなければならない。

 しかし、同時にあなたは救われた者の一人であることも認め、「私たち」という言葉をすべての言葉に付けなければならない・・・私は、私たちの主、イエス・キリストを信じ、また、私たちの受難、私たちの死、私たちの復活を、さらに、彼は私たちのすべてであり、私たちにかかわり、また、そのためにあなたは「私たちのもの」であるその人々と共にいることを信じるのである。それから、聖霊は、私たちを旧いアダムから新しい人とし、私たちは罪に死んで義に生き、この地上で始まり増し加わり、かなたで成就するのである。

 なぜなら、キリストは私たちに恵みばかりではなく、聖霊の賜物を得てくださり、私たちは罪の赦しを得たばかりでなく、罪を放棄したからである。キリスト者は聖霊を持ち、新しい命が宿っているはずであり、もしそうでないなら、自分はキリストをもっていないことを知らなければならない。

(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

罪人だから、捨てられず、赦される。そのためにキリストは尽力くださる。だから、私たちは自分を罪のまま神に委ねられる。(N)