サイトへ戻る
· ルター,宗教改革500年

マルティン・ルターによる一日一章より(6/11)

イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。 (ヨハネ14:9)

 神はあなたにこう言われる。「見よ、そこに私の子がいる。あなたは彼に聞き、彼を受け入れなさい」。もし、あなたがそうするなら、あなたの信仰と救いを確信することができる。

 あなたは言う。「はい、しかし、私は信仰にとどまることができるかどうかわかりません」。おや、それなら、現在の約束と罪のあがないと受け入れなさい。そして、あなたは知ったかぶりをしたり、また、あまりにも深く神の内密のご計画に立ち入らないように気をつけなさい。あなたが啓示の神の信じて、その言葉を受け入れるなら、隠された神は徐々にあなたに啓示される。なぜなら、「わたしを見たものは父をも見たのである」、とキリストは言われるからである。しかし、み子を拒む者は、啓示の神とともに、ご自身を啓示されない、隠された神をも見失うのである。

 しかし、あなたは強い信仰によって啓示の神にしっかり結び付き、キリストを失いたくないと心で思うなら、あなたには確実に与えられ、隠された神を理解することを学ぶようになるであろう。

(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

「イエスならばどうされるか」。正解はないとしても、自分の行動・判断の基準とすることはできよう。するとイエスに会う。(N)