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· ルター,本郷教会,宗教改革500年,聖書

マルティン・ルターの言葉(10/22)

主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。」 (出エジプト記14:15)

ああ、人はキリスト者を、トルコ人や異教徒や神なき人々のように軽んずるべきではない。彼は神の前では貴重な者とみなされ、彼の祈りは全能で偉大である。なぜなら、彼はキリストの血によりきよめられ、神の霊により油注がれているからである。

 キリスト者が熱心に願うこと、とりわけ、言葉にならない心のうめきをもって願うことは、神の耳には耐えられない大きな叫びであり、神はモーセに「なぜ私に向かって叫ぶのか」と語られたように、それをお聞きにならないわけにはいかない。あのときモーセはひどい苦境にあって、不安と恐れで進むことができなかった。彼の心にこのようなうめきは、紅海をも引き分け、乾いた地にしてイスラエルの人々を導き通し、ファラオとその全軍を溺死させた。このことと、さらにもっと多くを、正しい霊のうめき(と祈り)は行うことができるのである。(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

海が分かれてイスラエルは逃げ延び、エジプト軍は滅びる。出エジプトのクライマックス。一方は救いであり、もう一方は滅び。そんな解決は本当の解決ではない。どの人も互いに重んじ合う。そのためにうめき、神に助けを求める。ルターは時に他宗教や民族に厳しい。時代の制約あるが、今、私たちが求めるべきは。(N)