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· ルター,宗教改革500年

マルティン・ルターによる1日1章(4/2)

イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。(ヨハネ福音書4:50)

 信仰のあり方とはこれである。ちょうど神のことばが、私たちがまだ手に入れていない、来るべき永遠の天の財貨に希望をもたせて慰めるように、信仰はこのような来るべき財貨を、それがすでにそこにあるかのようにしっかりととらえて疑わない。理由は、神のことばが全能で、神は真実で嘘をつかないことを、信仰は知っているからである。

 それゆえに、信仰はみことばに鋭い目を注ぐ。みことばがあれば、信仰はさわやかにそこに入り、悪魔にもこの世にも脅かされないことを信仰は見ている。なぜなら、信仰は、結局、みことばの根拠がどこにあるか、どのようにみことばが出て行くか、また、悪魔にはみことばが不快であることも知っているからである。逆に、みことばがないところでは、この世のいかなる虚偽や権力に対しても、みことばの真実を説くことができないということも、信仰は見ているのであって、事が起こる前からそれを憂慮しているのである。

 それゆえ、正しく信じること、すなわち、神の言葉と約束を保ち、みことばが私たちに示す通りに必ず成就すると確信することは、どういうことかを人がよくわかるように導く教えは、大いに有益で必要である。(『慰めと励ましの言葉ーマルティン・ルターによる一日一章』)

今握りしめているものをあると信じるとは言わない。無いが信じるのだ。

あるも同然。それが信仰ゆえの喜びであり希望なのだ。(N)